福岡、長崎両県を中心に約1万4千人が症状を訴えた国内最大級の食品公害「カネミ油症」の被害者救済法が施行されて10年となった。
長年置き去りにされた被害者を救うため超党派の議員立法で制定されたが、法適用の前提となる国の患者認定は遅々として進んでいない。
「人権尊重」をうたう法の精神をないがしろにしていないか。国の姿勢を改めて厳しく問いたい。
油症被害が社会で認識されたのは1968年のことだ。以降、累計の認定患者は2360人余(今年3月末時点)に上る。ただ救済法施行を受け、この10年間で検診を受けた延べ1320人のうち、国が患者認定したのは58人に過ぎない。
体内に残ったダイオキシン類の血中濃度などを重視し、各種の症状があるだけでは認めないことが大きな原因だ。
構図は「公害の原点」とされる水俣病などと同様だ。国は病像をひたすら限定的に捉えようとしている。それが被害者を苦しめている現実を直視してほしい。
もとより、患者と認定されても、必要な医療を受けるための支援金などを支給されるだけだ。被害者側にすれば不十分極まりないものだろう。
救済法施行を記念して2012年12月に被害者らの本「地獄と向きあって44年」が出版された。顔、背中、乳房、つま先まで吹き出物などに覆われた写真が生々しい。赤ん坊も例外ではない。
筆者の1人、矢野トヨコさん(故人)は地元米店の勧めでカネミ油を使い始め「正月にフライや唐揚げをたくさん食べたところ、体一面に紫色の湿疹ができた」と記した。食卓のだんらんが突如悲劇に変わった不条理である。
「地獄」は決して大げさな表現ではなかろう。被害者はカネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油を使った料理を食べた。油の製造工程で混入したポリ塩化ビフェニール(PCB)などが熱で猛毒のダイオキシン類に変化した。
カネミ油症公害のもう一つの大きな課題は、いわゆる次世代被害者の救済だ。
認定患者の親から生まれ、30代となった今も鼻血、吹き出物といった症状が続く人々がいる。国は昨年、実態調査の実施を決めた。若い世代の被害者を早急に掘り起こし「疑わしきは救済する」との方針で臨むべきだ。
被害者救済法により、公害が表面化した68年時点で認定患者と同居していた家族も一定症状があれば患者と見なされるようになった。69年以降に生まれた人については、カネミ油を使った食事は取っていないとの推定により認定基準が厳しい。
依然として偏見や差別を恐れて、検査を受けることすら避ける人も少なくない。
10年前に立法の形で実現した政治救済には被害者から大きな期待が寄せられた。それを裏切ってはならない。