カネミ油症 息子に明かした女性 「次世代救済に何かを残したい」

  • 2021年11月27日
  • 2021年11月27日
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 カネミ油症患者の子や孫を対象にした国の健康実態調査(2021年8~11月)を前に、患者であることを我が子に初めて明かした人がいる。「油症被害者関西連絡会」の共同代表で、兵庫県姫路市に住む渡部道子さん(65)。決意の裏には「油症の問題を過去のものとして終わらせてはいけない」との思いがあった。

 「カネミ油症っていうのがあってな。母さんは患者に認定されてるんや」。20年の夏ごろ、渡部さんは自宅に呼んだ息子(36)に語りかけた。低体重で生まれ、入退院を繰り返してきた一人息子に「断定はできんけど、(油症と)関係があるかもしれん」と30分かけて説明した。被害者の支援団体が次世代の健康問題についてアンケートをすることを伝えると、息子は落ち着いた様子で「協力するよ」と答えてくれた。

 小学6年になる1968年3月、海上保安庁職員だった父の転勤で、関西地方から長崎県玉之浦町(現・五島市)に両親、弟と移り住んだ。近くの商店で「いい油がある」と勧められたのが、カネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油だった。引っ越して2日目の夜、油を使って料理をしていた母が「この油、なんかおかしい。プツプツ気泡が立つ」と首をかしげたことを覚えている。

 約1カ月後、家族全員に湿疹やできものなど、原因不明の症状が表れた。尻に膿(うみ)のある大きなできものが出た渡部さんは、父や弟に知られるのが恥ずかしくて毎朝、母親にこっそりガーゼを張ってもらい登校した。教室の友人たちにも、首や顔などに大きなできものがあった。

被害が集中的に発生した町内は「奇病」を巡り大騒ぎになる。後に「国内最大の食品公害」と呼ばれる油症が発覚したのは、その年の10月だ。渡部さんは入退院を繰り返すようになった。油症との因果関係は不明だが、中学時代には卵巣がんの手術を受けた。家族全員が患者認定を受け、父は自分を責めるように「あと1年、転勤が遅ければ」とこぼした。

 高校時代に長崎県外へ転居した後は「『汚いもの』というイメージが強かったカネミという言葉そのものを避けるようにして生きた」という。患者団体の活動を「次世代に引き継いで退きたい」と話していた父(当時88歳)が09年に交通事故で死去後、遺志を継ぎ関西連絡会を11年に設立した。活動も息子には明かさなかった。

 知らないところで油症のことが耳に入ることなどを心配し、周囲に息子がいることは話さなかった。一方で活動を通じ、油を口にしていない子にも体調不良が出ていることなどを知った。それまでは、油症をどう説明すればいいか分からなかったが「自分たちと切り離せない問題だ」と心境が変わり、アンケートを機に息子に告げることを決めた。

 アンケートでは「一般と比べ、健康被害の自覚症状が高い割合で発生している」との結果が報告され、国の研究費を受けた全国油症治療研究班(事務局・九州大)が初の次世代調査に踏み出すきっかけの一つになった。8月に始まった調査では10月末時点で294人の子や孫が回答した。息子もその一人だ。

 渡部さんには小学生と5歳の孫がいる。「何事もなく元気に育ってほしい」と願う一方、次世代への健康影響のメカニズムが解明され、多くの人の救済につながることを望む。「カネミ油症を過去のものにしてはいけない。とにかく次世代が救済される何かを残せるよう、後に託せるように頑張らないと」。油症に向き合ってくれた息子に安堵(あんど)しながら、渡部さんは仲間と声をかけあっている。【山口桂子】

カネミ油症

 カネミ倉庫製の米ぬか油を摂取した人たちが皮膚の吹き出物や倦怠(けんたい)感などを訴えた国内最大の食品公害。1968年10月の発覚から69年7月1日までに西日本一帯の1万4320人が健康被害を訴えた。脱臭工程で熱媒体として使った鐘淵化学工業(現・カネカ)製のポリ塩化ビフェニール(PCB)が配管の破損で油に混入。PCBの加熱で生成された猛毒のダイオキシン類が主な原因とされる。

(2021年11月26日 毎日新聞より)

 

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