国内最大の食品公害とされる「カネミ油症」の患者支援策を考える、患者、国、原因企業のカネミ倉庫(北九州市)の「3者協議」が31日、オンライン上であった。認定患者の子や孫などの健康状態を確認する初の調査を、8月に始めることを正式に決めた。患者と認定する際の基準の再検討も視野に入れている。
厚生労働省の全国油症治療研究班(班長、辻学・九州大准教授)が8月中に調査票を送り、10月をめどに回収する。対象となる認定患者の子は推計300人、孫は現時点で不明という。
2012年の被害者救済法成立を受け、油症が発生した1968年に認定患者と同居していた家族も、一定の症状があれば患者とみなすようになった。一方、69年以降に生まれた子や孫など次世代に対しては、ダイオキシン類の血中濃度などの認定要件が厳しすぎるとの指摘があった。今年3月末の累計認定患者数は2353人で、うち次世代は50人ほどにとどまる。
支援団体「カネミ油症被害者支援センター」は昨年、認定患者の子や孫49人にアンケートを実施。その結果、倦怠(けんたい)感や腰痛など認定患者と似た複数の症状を訴える人の割合が一般成人よりも高いことが判明し、国による調査を求めていた。
14の患者団体でつくる「カネミ油症被害者全国連絡会」の曽我部和弘・世話人会代表は「先延ばしにされてきた調査がようやく始まる。次世代に影響があることを証明し、認定につなげてもらいたい」と語った。
(竹中謙輔)
【ワードボックス】カネミ油症
1968年に長崎、福岡両県などで発生した食品公害。カネミ倉庫製の米ぬか油にポリ塩化ビフェニール(PCB)などが混入したことが原因で、油を口にした約1万4千人が吹き出物や手足のしびれ、倦怠感などの健康被害を訴えた。当初の認定基準の要件は、皮膚症状や血中PCB濃度など。2004年にはダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)の血中濃度も加わったが、認定されないまま体の不調に苦しむ人もいる。
「一歩前進でも差別、偏見」
カネミ油症の患者団体は次世代の健康調査を「一歩前進」と評価する一方、「本当に被害の全容が明らかにされ、救済につながるのか」との不安もぬぐえないでいる。対象者の数も定まらず、どれだけが応じるのかも不明なためだ。次世代にとっては、親や祖父母の世代が受けてきた「差別」や「偏見」が、油症や自身の体の不調に向き合うことをためらわせている。調査の成否、救済の実現は見通せない。
福岡県大牟田市の認定患者森田安子さん(67)は6月下旬、長男(40)に調査を受けるよう促した。前向きな返事はなく、数年前に長男が漏らした言葉がよみがえった。「『カネミ油症』という十字架を背負うのは、とても耐えられん」
長男は幼い頃から、爪の変形や手の震え、やけどのような皮膚症状に苦しんできた。今も皮膚科通いが続く。昨年結婚したが、「(油症の影響が)怖いから、子どもはつくらない」と繰り返す。
県外に暮らす次女(36)は5月に出産したばかりだが、母乳は与えていない。原因物質は胎盤や母乳を通じて、子どもに移るとされるためだ。
森田さんは、被害が集中した長崎県五島市玉之浦町で生まれた。中学3年の頃、カネミ倉庫製の米ぬか油で揚げた魚介類などが食卓に上った。
異変が起きたのは1968年夏。息ができなくなり、めまいで入退院を繰り返す。高校に進めず自宅療養の日々。看護師になる夢は諦めた。当時は、未認定だった。
「本当に健康な日ってあんまりなかった。『苦しみ』って一言だけでは表現できない」。24歳で結婚、3人の子宝に恵まれた。子どもたちも倦怠感やぜんそく、皮膚が紫色になる症状が現れた。「どう見ても、ダイオキシンの影響」。再び、油症と向き合わざるを得なくなった。
「子どもたちに医療費などの補償を受けさせたい」。2009年に長女(42)と受けた検診で、森田さんはようやく認定。重い皮膚症状や婦人科系疾患があった長女は認められず、関係機関に訴え続けた。認定まで7年を要した。
油症が原因で破談になった患者がいる。今も配偶者や子どもに油症を打ち明けられない患者も-。認定のハードルに加え、偏見も次世代を苦しめている。時間もない。既に40~50代。今後、どんな不調が現れるか分からない。
「油症の影響で生活に制限があるのに、親を苦しめたくないから愚痴も言わない。そんな次世代への影響を明らかにし、症状が出たときはきちんと救済するための調査にしてほしい」。森田さんは、そう声を絞った。 (竹中謙輔)