西日本一帯で起きた食品公害「カネミ油症」が表面化して今年で50年となり、認定患者数が多い長崎県五島市で17日、追悼式が開かれ、参列した約200人が犠牲者を悼んだ。被害者支援の拡充や未認定患者の救済がなお課題となっており、被害に苦しむ患者らは「油症問題をここで終わらせてはならない」と誓いを新たにした。
式典では、患者団体会長で同市の旭梶山英臣さん(68)があいさつし「今も続く被害をより多くの人に知ってほしい。どれだけ月日が流れても、被害者や遺族の心は癒えない」と訴えた。被害者救済法の立法に尽力した坂口力元厚生労働相(84)も出席し「50年を節目に、国は救済に力を入れるべきだ」と述べた。会場の献花台では、参列者が白いカーネーションを供え、静かに手を合わせていた。
式典に引き続き、被害者と市民らが交流する場も設けられた。認定患者で、福岡県大牟田市の森田安子さん(65)は子ども3人が貧血や爪の変形などで通院を続けているといい「何世代にもわたり、一生治らない病気を背負わされた。加害企業を許すことはできない」と声を震わせた。
生徒9人を連れて参加した五島市の高校講師、桑戸りなさん(23)は「患者の苦しみを知らなかったことを申し訳なく思った。次世代に思いを伝えていきたい」と語った。
カネミ油症は1968年10月に問題が表面化。カネミ倉庫が製造した米ぬか油にポリ塩化ビフェニール(PCB)やダイオキシン類が混入し、油を口にした約1万4千人が皮膚や内臓の疾患などを訴えた。厚労省によると、今年3月末時点で認定患者は2322人。このうち五島市での認定は873人を占める。〔共同〕