「昭和の野球漫画『巨人の星』に出てきた『大リーグボール養成ギプス』を知らないうちに身に着けて、大きな負荷を背負って過ごしてきた感じですね」
4年前にカネミ油症の認定を受けた50代の会社員男性=兵庫県=は、それまでの人生を独特の言い回しで表現した。
幼いころ、手足や頭の皮膚が油っぽく変質し、ぐずぐずになって、べろりと剥がれた。爪の間に油のようなものがたまり、足の親指の爪が丸ごと剥がれたこともある。
患者に認定された後になって振り返ると、幼少期は深刻に捉えていなかった症状が、明らかな異変としてまざまざとよみがえった。いまもひどい疲れや、化学物質に敏感な体質が、日常生活を縛る。認定によって戸惑いが解消されたわけではない。
「いまの大変さが生来の自分の性質なのか、カネミ油症によるものなのか線引きするのは難しい。それでも油症のことがなければ、もう少し晴れやかな人生だったのかもしれない」
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小学生のころに、福岡や山口県で暮らしており、カネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油「ライスオイル」を食べた。自身の体調不良について、親から「カネミの油のせいかもしれない」と言われたことはあったが、油症事件発覚前後に九州を離れていたせいもあり、あまり深く意識したことはなかった。
仕事の都合で関西に転居して20年。数年前、職場でポリ塩化ビフェニール(PCB)を使用した電気機械の処分話が持ち上がった際、カネミ油症のことを思い出した。「もしや自分も」。そう頭をよぎり、インターネットを検索。厚生労働省のページにたどり着き、患者向けの案内にあった油症検診を受けた。
2014年に患者として認定された。12~17年の検診による患者認定は全国で36人。関西では男性しかおらず、非常に珍しいケースだった。
残留農薬が多い野菜や食品添加物を口にすると倦怠(けんたい)感や頭痛に悩まされ、洗剤の界面活性剤で肌が荒れる。身の回りの化学物質を注意深く避けなければ途端にギプスの負荷が大きくなるような感覚だ。
「それまで特異体質だと思っていたことが、油のせいだったと、50年たってようやく分かった。症状は違えど、同じように原因が分からず苦しんでいる人はまだたくさんいると思う」
発生から半世紀経過しても、被害者にさまざまな健康被害や精神的苦痛を与え続けるカネミ油症。加害企業の法的責任は十分に果たされておらず、救済の道のりは険しい。被害者らが歩く、長く暗いトンネルの出口はまだ見えていない。(小尾絵生)
【患者の補償格差】1970~80年代、認定油症患者らはカネミ倉庫や鐘淵化学工業(現カネカ)などを相手に訴訟を起こした。カネミ倉庫は原告団に1人当たり賠償金500万円の支払いが決まり、鐘化は法的責任がないことの確認を条件に和解し、1人最低300万円を支払った。カネカは和解以降に認定された患者との交渉には応じていない。カネミ倉庫は、全認定患者に見舞金や医療費の一部を支払っているが、資金繰りを理由に賠償は滞っている。