米ぬか油独特の香ばしい匂いが漂う工場敷地内。高さ10メートル近い機械や建屋が立ち並んでいる。カネミ油症事件の原因となった汚染油を製造、販売したカネミ倉庫(北九州市)は、今も食用油を作り続けている。
過熱、ろ過、冷却-。さまざまな工程を通して油の不純物を取り除くのだという。「米ぬか油には結構な時間と手間が掛かるんです。もちろん安全面は徹底しています」。加藤大明社長(61)は年季の入った機械を見上げ、強調した。
事件発覚当時、油症の原因物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)の毒性は社会的に認知されていなかったとされる。PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)の当時のパンフレットには、次のような記述がある。
「カネクロールによる金属材料の腐蝕は、高温、低温を問わず、実用上問題はなく、材質の選択は自由であります」
PCBによる金属腐食性も否定しているように読める。食用油に大量混入したPCB。原因は裁判において、脱臭工程でステンレス管を流れるPCBが管を腐食させ、漏れて食用油を汚染したとみられ、PCBを製造販売したカネカの責任も追及された。だが、後にカネミ倉庫の人為的ミスと隠蔽(いんぺい)行為があったとの見方が強まり、全責任がカネミ倉庫にあるとの判断に一気に傾いた。
加藤社長は、「混入原因は、はっきり言って分からない。当時を知る社員はもういませんし。僕らはピンホール(腐食穴)が原因としか言いようがない。そしてPCBにもし毒性があると分かっていたら(食品製造工程で)使ってない」と断言。PCBそのものに問題があり、購入時のカネカの説明も不十分だったことを訴える。
PCBは、カネミ油症をきっかけに製造中止となったが、既に社会環境に大量に存在。PCBの保管、処理は特措法などにより、メーカーではなく購入した企業側が費用負担することになっており、加藤社長はその不満もぶちまけた。
「うちの場合、コンクリート小屋を造り、鉄板の大きな箱を入れ、その中にPCBを全部保管させられた。無害化処理する費用には2千万円もかかった。本来、カネカが全回収し処理するのが当たり前じゃないのか」
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1968年の事件発覚当時のカネミ倉庫社長は故加藤三之輔氏。長男の現社長は20年ほど前、40歳のとき社長職を引き継いだ。68年当時は小学5年生だった。
「ある日学校に行くと誰も話してくれなくなった。近所のパン屋に『人殺しの子に売るパンはない』とか言われた。会社に大挙して来たマスコミに手をつかまれ、『お父さんどこおっとや!』と怒鳴られた」
油症は、1年間に限っても約1万4千人が健康被害を届け出た。ひどい吹き出物や全身疾患で多くの被害者がもがき苦しみ、亡くなっていった。被害は甚大で、治療法はまだない。有害化学物質を経口摂取していない次世代(被害者の子や孫ら)の健康被害も懸念されている。そしてカネミ倉庫は、事件の責任を果たすべき立場にある。
「ある日、飯を食っていると父から『明日から社長をしろ』と言われた。親子2代で事件をいい方向に持っていくのも運命かなと思い、引き受けた。患者さん、取引先、従業員への責任があり、トップがへこたれるわけにはいかんということでやっている」
三之輔氏は2006年に死去。「おやじはもっと早く収束すると思っていただろうなと思う。原因が解明されて治療薬もできて、患者さんが健康を取り戻してくれてと。その見込みが甘かったんでしょうね」
現在、政府米の保管料など国の支援も受けながら認定患者の医療費や見舞金などを支払っているカネミ倉庫。だが経営は厳しいという。カネカは被害者が求める協議にも応じていないが、同社の救済の枠組みへの参加が被害者支援の拡充に不可欠と考える。
「うちの企業体だけではどうしようもないところまで来ている。カネカは法的に無責と言うが、自分たちが作った物で被害者が出ているんだから責任がゼロってことはあり得ない」。加藤社長は再び語気を強めた。